この記事では「上弦の壱・黒死牟は炭治郎のお父さんなのか?」ということで、
黒死牟と炭治郎の親子関係について解説していきたいと思います。
黒死牟は上弦の壱で、無惨を除けば鬼の中では最も強く位の高い鬼です。
炭治郎は心優しいとても他人思いの少年ですよね。
そんな2人が実は親子関係なんてことあると思いますか?
そもそも炭治郎のお父さんは登場してきていますからね。
一体どうなんでしょうか。
上弦の壱・黒死牟は炭治郎のお父さんなのか?
結論から言うと、黒死牟は炭治郎のお父さんではありません!
そもそも2人は生きている時代が違います。
これでもう答えは出てしまったわけなのですが、どうしてお父さんではないのかについて少し解説していきますね。
黒死牟は戦国時代を生きていた
黒死牟と炭治郎は生きていた時代が違います。
黒死牟は今は鬼になっていますが、もともとは人間です。
黒死牟の人間時代の時の名前は継国厳勝(つぎくにみちかつ)と言い、剣士でもともとは当時の鬼殺隊でした。
黒死牟が人間として生きていた時代は戦国時代で、20歳の時に鬼になり、それから約400年、鬼として生きています。
炭治郎は大正時代を生きている
対して炭治郎は大正時代を生きています。
先にも言ったように、2人は生きている時代が違うのです。
炭治郎には炭十郎というお父さんがちゃんといます。
鬼滅の刃が始まった時にはすでに亡くなっていましたが、炭十郎が間違いなく炭治郎のお父さんだと言えます。
黒死牟と炭治郎は全く関係がないのか
黒死牟と炭治郎が親子関係ではないとわかりました。
しかし、親子関係の噂が流れるくらいなので何かしら関係はあるんじゃないの?と思われますよね。
もう少し2人の関係を深く解説していきます。
黒死牟は双子で弟の名は継国緑壱
黒死牟は人間時代は継国厳勝と言う剣士でした。
厳勝には双子の弟がいて、その弟の名前は継国緑壱(つぎくによりいち)と言います。
竃戸家は弟の緑壱と関係がありました。
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継国緑壱と竃戸家の関係
当時、継国緑壱は竃戸家の先祖・炭吉という男と深い交流がありました。
交流を持つきっかけになった理由は、炭吉夫婦が鬼に襲われているところを緑壱に助けられたことがきっかけになっています。
その後、緑壱は炭吉の家に行くようになりました。
そこで、炭吉は「あなたは命の恩人だ、あなたのことを後世に伝えます」ということを伝えます。
緑壱に日の呼吸の剣術を見せてもらっていた炭吉は「ヒノカミ神楽」と名前を変えそれを受け継ぎ、一緒に耳飾りも受け継ぐことを決めました。
それが炭治郎お父さんである、竃戸炭十郎、そして炭治郎にも受け継がれたという経緯があります。
黒死牟と炭治郎はやはり関係はない
黒死牟は炭治郎の先祖が助けられた継国緑壱の双子の兄というだけで炭治郎とはやはり関係はありません。
ましてや親子関係でもないし、同じ家系でもないというのが事実です。
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まとめ
この記事の内容を振り返りましょう。
⇒黒死牟は炭治郎のお父さんではない。
その理由
1.黒死牟が人間の時は戦国時代を生きていて、炭治郎は大正時代を生きている。
2.炭治郎に関係があるのは黒死牟の双子の弟の継国緑壱の方。
3.炭治郎の先祖がその昔、緑壱に命を助けられ交流を持つようになった。
以上のことから、黒死牟と炭治郎は親子関係ではないということが言えます。
最後までお読みいただきありがとうございました!